姪の誕生日のお祝いに、谷川俊太郎さんの絵本を贈りました。
ラインナップは、
・あさの絵本
・わたし
・しんでくれた
・きらきら
・生きる
どれもレビューサイトや出版社の紹介文を読み、いろいろ吟味して、ようやく決まった選ばれし絵本です。
絵本をプレゼントしたいなとは思っていたのですが、最初から谷川俊太郎さんにしようと思っていたわけではありません。本屋に行ったり、ネットで探しているうちに「姪のお友達になってくれるような絵本がいいな、谷川俊太郎さんの詩だったら小さい子にも響くものがあるかもしれないな」と思い探し始めました。
あさ
表紙の美しい紫の空に惹かれたのと、タイトル「あさ」に縁を感じ、真っ先にカートに入れました。姪が生まれる直前、陣痛に耐えながら車の窓から見上げた朝の光が忘れられなかったと、当時妹が語っており、そんなエピソードを持つ姪にこの本はぴったりだなとと思ったからです。
まぶしい まぶしい まぶしい
きょう はじめてのきょう
誰にとっても、どんな時でも、朝は訪れ、それはどんな人にとっても初めての一日が始まるのです。刻一刻と変わる朝の美しい風景に圧倒されてしまいますが、負けないくらい輝くパワーを持った言葉がどのページにも並んでいます。
わたし
絵本は声を出して読む楽しみもあります。
まだ文字を読めない子には、おとなが声音を変えながら読み聞かせたり、
文字が読める子は、(自覚はなくても)読む練習、話す練習として使ってみたり。
声に出して読む時に重要な要素として、テンポがあげられます。
テンポは、耳で入ってくる時の心地よさに直結しますが、この本ではこのテンポが要となっています。
「わたし」と「わたしじゃないひと」が続くこの本では、ページをめくるたびに「わたし」の一文字があり、この「わたし」をどういうテンポで言うかでこの本の味わいが変わってくるように感じます。
しんでくれた
ちょっと説教くさいかな、と思いつつも食べることが大好きな姪に、いのちをいただくとはどういうことかを考えるきっかけになってくれたらいいなと思い購入しました。
絵本の中では食べ物になってくれたいのちにフォーカスが当たっていますが、
食べ物になってくれた生き物だけでなく、ここまで育ててくれた人、運んでくれた人、作ってくれた人、あらゆるものに感謝しながら「いただきます」と言える子になってくれるといいなぁ。
きらきら
顕微鏡カメラで撮影した雪の結晶が目を引くこの絵本は、購入した絵本の中でも小さく、姪の手でも持てるくらいのサイズでした。
今回購入した5冊の絵本は、ひとつとして同じ規格サイズがなく、大きいものから小さいものまでありました。
上に挙げた「あさ」の絵本サイズはかなり大きく、雄大な空を描くのに適した大きさと言えそうです。
反対にこの「きらきら」のサイズは小さな雪に合わせて、大人の手のひらと同じくらいの大きさとなっており覗き込むようにして雪の結晶を眺めることができる設計になっています。
いきる
この絵本は、大人になってから読む方が味わい深い作品だと思います。
一見すると言葉の描写とイラストの描写が一致していないように見えるので、こどもが初めてこの絵本を手にした時には描れているディテールに極集中してしまって、耳から入ってくる言葉は滑っていくかもしれないし、この絵本の全体を理解するにはちょっと難しいかも知れません。
生きているということ
いま生きているということ
笑い合える友人、目が合うのも嫌な人、姿を見るだけでドキドキする人…いろんな人と出会い別れをすることで「いま」がどの瞬間を指し、それがどれほど価値あるものか分かるのかもしれません。
振り返ると私自身も、つい最近まで「いま」をよく知らないまま、いまを生きていたなと思います。むしろそれが若さなのかもしれませんね。
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
このフレーズはすごい、私の生きる意味そのものです。
何年も前に、谷川俊太郎という人が、
この詩を記してくれたおかげで、
私は決して一人で歩いてるわけじゃないんだと寂しくならずに安心することができます。
30代になってもまだ、こうして本の友人ができるのですから、
5歳の女の子に本のお友だちができることだって不可能ではないはずです。
5歳の今日じゃなくても6歳の来年じゃなくても、
10年後の15歳になった時でも。
本は読んでくれる日をじっと待ってくれてます。
たとえ本とお友だちになれなくても、心のどこかに谷川俊太郎さんの美しいことばが光る瞬間が来たらいいなと願いつつ、「あんまり絵本読まないんだよね」と妹に言われながら贈った、自己満足のプレゼントでした…。