先日、「落下の王国」を見に行きました!
テレビ放映で見たことはありますが、
なんとしても大きなスクリーンであの圧倒的な映像美に酔いしれたい!
と思い、最寄りの映画館へ…。
すごかった…。
画面いっぱいに広がる荒野、大海原、建築物…。
なんといっても目を引くのが色とりどりの衣装でしょう。
この映画で
衣装デザインを手掛けている石岡瑛子さんを知ったのは、
コロナ禍の真っ只中に現代美術館で開催された、
「石岡瑛子 ー血が、汗が、涙が、デザインできるかー」でした。
振り返ると2020年~2021年の当時は
映画、演劇、 展覧会 が軒並み延期や中止に追い込まれ、
芸術は「不要不急」という言葉の埒外に置かれているような状況だったように感じます。
そんな中で開催された本展覧会は、
彼女が手掛けた、広告ポスターからコスチューム、インスタレーションだけでなく、
膨大なスケッチやメモまで、ありとあらゆる彼女の痕跡が展示され、
まさに石岡瑛子の大回顧展と呼ぶにふさわしい展示でした。
特に、一番最後の展示品が印象的でした。
記憶が曖昧なんですが、詩集だったか絵本だったか。
カラフルなイラストと共に
彼女がまだ少女であった頃に夢を綴った本が飾ってあったんです。
それが、まさに予言書ともいうような内容でした。
というか、夢や予言で終わらせずに、
彼女自身が拓いてきた道が本展覧会だったわけです。
表現すること、自由であること、唯一であること、生きるということ。
「感染防止」を理由に、世界が萎縮していた時代に
作品を通して、故人から「クリエイトし続けろ」と鼓舞されるとは予想もしていなかったので、
帰り道は火照った気持ちを寒風で冷やしながら、しばらく木場公園で佇んでいたことを覚えています。
映画の話に戻ると、
この作品では、人が物語を欲する理由が
映画黎明期の時代のアメリカを通して描かれてるように感じました。
映画を見たことのない5歳の少女アレキサンドリアと
絶望の淵にいる映画スタントマンのロイ。
千夜一夜物語のシェヘラザードが生きるためにシャフリヤール王に物語を紡いでいたのに対して、
ロイは自死を望み、アレキサンドリアに即興で冒険叙事詩を語っていきます。
現実パートでは抑えた色調、叙事詩パートでは多彩な衣装や壮大ロケーションで撮影しており、視覚的に対照を成しています。
叙事詩パートの登場人物は、現実パートでのアレキサンドリアの周囲の人物がモデルとなっており、バンディットは暴徒に襲われた父親であったりロイの姿で現れます。叙事詩の最終盤では因縁の敵はロイの恋敵であったり、アレキサンドリア自身も登場したりと、叙事詩が現実に浸食されてしまいます。
現実世界がひどく辛いと感じているからこそ、
ファンタジーな世界を作り、
その世界に滞在することで、現実を受け入れる胆力を回復させて、
何とか現実と折り合いをつけていく。
ロイが悲劇で終わらせようとした叙事詩を
アレキサンドリアが認めなかった理由はここにあります。
現実を生きるからこそ虚構の物語が必要である。
細かい点で言うと
ポスターには載ってない、入れ歯の精霊の役割や
なせスタントマンが主役であるのか、
「落下」が意味するものとは何なのか。
もう少し深掘りできそうな気がしますが、今回はここまで。
