【映画感想】陽炎座

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ツィゴイネルワイゼンのヒットにより製作されたという本作。
正直ツィゴイネルワイゼンと比較してしまうと力不足感が否めない。

しかし、松田優作が演じた松崎春狐という役は、松田優作が本来待つ躍動感とは対照的な役となっており、新境地を目指したかったのかなと思った。

松田優作が内向的になると、息子の松田龍平の雰囲気になるんだなぁ。ただ、この作品での松田優作は、まだ快闊的というか生のエネルギーが強すぎた。


ツィゴイネルワイゼンが男同士のラブロマンス的であったのに対し、本作は女性間のシスターフッドに着目したい。イレーネと品子、先妻と後妻のライバル関係ではあるが、共に男によって人生を狂わされたという境遇にいる。

冒頭、品子は墓場の供花から抜いてきたという花籠をもって、イレーネの入院している病院を訪ねている。このシーンでは玉脇男爵(中村嘉葎雄)を巡っていがみ合う先妻と後妻の関係性であった。

しかし、イレーネの死や品子の失踪を経て、舞台が金澤へ移った時、品子も夫からの支配から逃れたいと思うようになっている。時折幽霊となって現れるイレーネは、品子に対しては憐憫の情があるように感じ取れる。

最終的には、品子に乗り移り、彼女を死に至らしめてしまうのであるが、それは後妻への憎しみによるものではないのではと思う。
実は観劇中、途中までイレーネ(楠田枝里子)と品子(大楠道代)の違いが分からなかった。金髪碧眼の姿になって初めて「あ、違う人物なのか」と気づいたので、それまでの不思議な会話のやりとりが不思議のままで終わってしまっていた。

舞台演劇であれば、外国人の役を日本人が演じることについて、特に気にならなかったであろうが、映画という表現方法では、少々説得力に欠けると感じてしまう。ただ、この作品においてのイレーネと品子の関係は表裏一体の存在であるので、女優2人の見分けが付かなかったからと言って問題はないのであるが…。


そして今作が弱いと感じてしまう最大の理由は、イレーネの怨念がこの作品においてのすべての元凶であり中心となるべきはずなのに、彼女の迫力があまり感じられなかった点である。はるばる異国まで来て嫁ぎ、髪を染め、愛されようとしたにもかかわらず、彼女は失意のうちに死んでしまった。その捨てられた女の情念をイレーネ自身が表出することはなく、乗り移った先の品子が躍ることにしているが、もう少し幽霊にこの世ならざる凄みが欲しかった。


伝統芸能である能において、幽霊はよく出るモチーフだ。たいていは旅人が出会った人物が実は幽霊で、なぜ自分が死んでしまったのか語り、成仏していく。本作に無理やり当て嵌めると旅人=春狐、幽霊=イレーネであるが、イレーネが品子に乗り移ることで幽霊=品子の構図になり、そのまま旅人もろとも異界の住人になってしまうのである。能のよくあるパターンと類似はしているが、能の幽霊は非力なのに対し、イレーネは西洋由来のパワーが強いのか、有害性が高い。その実害性からくる情念を楠田恵理子に、銀幕に映して欲しかった。

今回の作品でも、ほおづきや水の流れ、桜などの死のモチーフ、歌舞伎小屋と新劇脚本家、見る側と見られる側(彼岸と此岸)などの対象モチーフもあって脚本としては面白い要素がふんだんに散りばめられ、解釈しよう甲斐があると思う。が、構成を面白がるよりも、上記の点で作品に集中できないのが非常に残念であった。












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